からだの探求は自己探求

からだに関して、どこまでも興味が尽きないのは、からだが『私そのもの』だと知ったから。

からだに関してのことはすべて、『自己探求』だと思っています。

どんな動きがラクなのか、軸はどこにあるのか、どんな形がバランスがいいのか。

今やっていることは、痛みなのか、心地よさなのか。

毎瞬、毎瞬、からだは反応していて、そこに次の方向への答えがある。

痛みは、私の限界を教えてくれるし、心地よさは私の幸せがどこにあるかを教えてくれる。

からだが皆違うのは、それぞれの限界も心地よさも、軸も、皆それぞれ違う、ということで、だからこそ、自分で気づいていくしかないのですね。

毎瞬、毎瞬。

 

若い時に好きだったものが、今ではそんなにだったり、ということはよくあります。
反対に、全然興味ないと思ってたことに興味を持ったり、好きになったり。

『私はこうだ』なんて、いう決め付けや思い込みは、何の役にも立たないのですね。
どころか、邪魔になってしまうこともあります。

『私はこうだ』という制限が、いつ自分の中に生まれたのか。
なんで、その制限が必要だったのか。

それを見ることで、発見があったり、制限が外れたりします。

制限て、外さないでいいんですよ。

嫌なことは、嫌なんだなー、でいい。

自分では気づいてないことが多いので、制限があるのを発見するだけで、いいんです。

知っていれば、その時々によって、それを外してみるチャレンジもできる。
今日はここまでにしよう、って少し手前で留(とど)まることもできる。

制限に気づいていないと、制限に関するもの全部を恐がったり、遠ざけたり、必要以上に反応してしまいがち。

 

ちょっと、抽象的になってしまいましたが。

開脚なんかも一緒ですよね。

痛みをどんな風に逃がしていくのか、この方向ならどうなのか、今日はどこまでやってみたいのか。

制限があることを知って、で、どうしたいのか。

『わたし』は、どうすることを望んでいるのか。

 

そんな風に体感したことが、いろんな場面で、生きてくる。

一つ一つの具体的な体験したこと、体感が、いつかどこかで、あ、これも同じことなんだなって。

それが生きる上での力になるし、人を理解することにもつながるんじゃないかなー、なんて思うのです。

 

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